またもや凶悪犯罪。
もう何年もこういったことが起こっていて、感覚・感情が本当に麻痺している気がする。
TB先は阿左美さん、綺羅さんの、このときの偽らざる心情だと思う。
幸福、不幸。(兄弟誘拐事件)
人が入り込まない川の中州 隼人ちゃん発見の現場 (朝日新聞) - goo ニュース
なぜこんなにも残酷な事件が繰り広げられるのだろうか。
またいわゆる「識者」と言われる人は色々というだろうけど、またもや表面的なものだけで見るのではないかと。
一部の良識ある人たちは、まじめに何かしらの行動はするだろうけど。
でも、一つだけ。
一番大事なんだと思うけど、命の尊さをきちんとみんなで認識できない限り、一人一人に浸透しない限り、どんなに外的制度(たとえば法律とか)を作ろうが、同じような事件は常に繰り返されるのでしょう。
阿左美さんのサイトにおいては、幸福不幸ということから書かれていますし、その点は私もいつも考えさせられることで。
この子達はなんでこんな目に遭わなければならなかったのかと。
何のために産まれてきたのだ、何のために・・・
もし仮に、生まれ変わるということがあるのであれば。
この兄弟に、せめて人並みの人生を歩ませるようにして欲しい。
そう願わずにはいられない。
追記:
いわゆる宿命論、運命論というのがありますが、避けられないものと言う意味はどうかと。
そういう現場にあってしまう宿命・運命というのがあるというのを否定できませんが、だから殺されるというので片付けるのは納得いかないです。
結局、そういった理不尽に抵抗出来ない(しない)思想そのものを私は嫌う傾向があるわけです。
いつだって、その自分と他人との行動・思想・意思で未来は創られていくものだからと。
その
「未来そのものを奪う凶行・思想」を私は認めたくありません。
んで、あまり強いことをこういうところで言うのがいやだったんで(過去にそれで失敗したんで)書かなかったですが。
「人間の幸不幸は一定に決まっている」というこの一見「全員平等」という感じの思想。
今、苦労している人に、不幸を感じている人に、前に進むための勇気としての言葉としてなら、ポジティブにさせるための方便なら私は「そうだね」と否定しませんが。
もし、仮に、自嘲気味に、そして後ろ向きにこの意見を出すのなら。
「その意見(思想)は間違ってる。」と私は言うのでしょう。
どう見たって世の中平等じゃないのだから。
この思想が実際の生活・社会に矛盾を生じているのだから。
幸不幸を感じるのが人間である自分であるなら、千差万別の人間が一定のもので括れる筈は無く。
もっとよりよいものを得る為に迷いながら生きていくのでしょう。
だから多分私はこういうのでしょう。
「最低線の部分は決まっているかもしれないが、行動次第で幸も不幸も増えるよ。」と。
自分の行動、人への行動。
そういったもので変わるのではないかと。
そうでなければ何のために人には知恵がある?
そうでなければ何のために知識の継承(教育)がある?
そうでなければ何のために常に多くの人がこの無力感を打破すべく生きている?
どうせなら、常に前向きで生きていたい。
どうせなら、周りの人間に幸せを感じる人間が増えて欲しい。
どうせなら、凶行に走りそうなものを止める自分になりたい。
どうせなら、今、苦労している、不幸を感じている人が、少しでも楽になるよう、幸せになれるよう、手助けが出来る、そんな人に、私はなりたい。
そんなことを考えながら、日々、迷い惑わされ、小さな決意と意思のもと、より良くなるよう、毎日を生きていくんだろうな、私は。
彼ら兄弟の不幸は正直、彼ら自身だけの問題に限らず、彼らの親によって押し付けられた不幸って感じがします。
勿論、その親すら、子を守ることが出来ずに不幸を感じているのでしょうが。
一番の不幸は、こういった事が頻繁に起こり得る世界(世間・社会)となってしまっている事ですかね。
いや、よくわからんですが。